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【鰹節の歴史】

 かつお節の歴史 

  かつお節の由来は、大和朝廷草創(4〜5世紀)以前に古代人が「干しカツオ」と称し、調味料として使われていた
 ことが始まりと言われています。その後、日本列島で豊富に漁獲されるカツオは貴重なタンパク源として重要な食材
 と位置づけ、大和朝廷は国々にカツオ浦を定めて、「干しカツオ」の献納を強制しました。
  やがて飛鳥・奈良・平安時代を経て、農業の進歩によって大豆の生産が増え、大豆性調味料(味噌・醤油・酢など)
 が造られるようになり一時的に衰退しました。しかしながら、カツオの調味料の味は人々の脳裏から消え去らず室町
 時代に入り「干しカツオ」に『焙乾』という乾燥技術が導入され、現在の鰹節の原型ができるようになりました。それ
 から約16世紀の年月を経て鰹節づくりは。改良に改良を重ね現代に伝わってきました。
  日本人にとって鰹節は貴重な健康食品でありまた、四季折々に彩られる日本料理は「カツオ節の力」といっても
 過言ではありません。
   

   300数余年の伝統技法は今も受け継がれて

  「本枯れ節」と称される鰹節は約6ケ月の長い時間と熟練された職人の経験によって造られます。その製法は、室町
 時代に『焙乾』という技術が導入されてから大きく変化してきました。
  カツオの漁法とともに、熊野節(江戸時代初期紀州で焙乾小屋が改良され鰹節が進化して広く世間で名声を得た鰹節)
 の製法を土佐国清水浦に伝えたのが、紀州印南浦のカツオ漁民・角屋勘太郎親子とその一統と言われてます。勘太郎は
 焙乾(燻乾)の創始者であり、土佐藩は鰹節を藩の貿易品にしようと考えて熊野節の製法を積極的に取り入れました。
  元禄時代(1688年)前後から安永(1780年)のころまでに大きな改良が行われ、煮熟・焙乾・カビ付けの草案に及
 びナラ・クヌギ等の薪を使い、煙で燻す焙乾法を考案しました。この製法は秘伝とされ勘太郎の故郷・紀州熊野に伝え
 られた程度で、永年他国へは公開されませんでした。しかし当時の薩摩藩は土佐節の改良に関わった紀州印南漁民の一
 人を招くのに成功し、その秘法を入手することができました。これによって、熊野節をしのぎ土佐節に次ぐ優良節とし
 て「薩摩節」は天下に知られるようになりました。
  このように枕崎に鰹節づくりが伝わって300数余年、今も変わらぬ製法は受け継がれ、職人の手によって丹念に鰹節
 が造られています。
   

 
 
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